「戦争はあってはいけない」鹿児島大空襲から77年 遺族らが慰霊碑に献花
2022年6月17日18:40
2316人が命を失った鹿児島大空襲から77年となる17日、鹿児島市で遺族らが犠牲者の霊を慰めました。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、鹿児島市は合わせて8回の空襲を受け、記録に残っているだけで3329人が亡くなりました。
このうち、死者2316人と最大の被害をもたらしたのが6月17日夜の空襲です。
この鹿児島大空襲から77年となる17日、鹿児島市のみなと大通り公園で慰霊式が行われ、鹿児島市遺族会の6人を含む約30人が、慰霊碑「人間之碑」に花を手向けました。
鹿児島市遺族会 吉見文一事務局長(81)
「戦争はあってはいけないし、残された家族にとればつらくて長い、やりきれないものがあると思っています」
戦争経験者の高齢化が進む中、鹿児島市遺族会では児童クラブなどで出前講座を行い、戦争の記憶を継承していきたいとしています。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、鹿児島市は合わせて8回の空襲を受け、記録に残っているだけで3329人が亡くなりました。
このうち、死者2316人と最大の被害をもたらしたのが6月17日夜の空襲です。
この鹿児島大空襲から77年となる17日、鹿児島市のみなと大通り公園で慰霊式が行われ、鹿児島市遺族会の6人を含む約30人が、慰霊碑「人間之碑」に花を手向けました。
鹿児島市遺族会 吉見文一事務局長(81)
「戦争はあってはいけないし、残された家族にとればつらくて長い、やりきれないものがあると思っています」
戦争経験者の高齢化が進む中、鹿児島市遺族会では児童クラブなどで出前講座を行い、戦争の記憶を継承していきたいとしています。