いつ使いましたか? 「公衆電話」の最新事情 災害時は”優先電話”の役割も 鹿児島
2024年11月26日(火) 14:30
公衆電話にスポットを当てます。
携帯やスマートフォンの普及で、台数が減ってきたこの公衆電話ですが、つながりやすいというメリットをいかし、大規模災害時における活躍が期待される新たな公衆電話が数を増やしていたんです。
現状を取材しました。
街に設置された公衆電話。
あなたはいつ、何のために使いましたか?
30代男性
「使ったの、10年くらい前かな」
Q.どういう理由で使いましたか?
「覚えてないなあ」
50代女性
「すぐつながるんですよ。だからライブのチケット取りに(使っていた)。(さかのぼると)何十年前になる」
30代男性
「携帯電話を持っていない時に、母や父、家族を呼ぶ時に使っていた」
見かける機会が少なくなった公衆電話。
番組ではKTSアプリで、公衆電話に関するアンケートを実施。
1週間で839人から回答が集まりました。
最後に公衆電話を使った時期について聞くと「5年以上前」と答えた人が全体の63.8%に上り、約20%が使ったことがないという回答でした。
公衆電話を使用した理由を見てみると、「携帯電話が壊れた」「子どもに使い方を教える」「自分の番号を知られたくない」など様々でした。
実際に街の公衆電話の利用状況はどうなっているのか?
鹿児島市の天文館公園に定点カメラを設置し、3日間で10時間ほど取材したところ、、、
4人が利用していました。
利用者の中には、見知らぬ番号からの折り返しに、防犯上の理由から公衆電話を使うという人もいました。
また、こちらの利用者は台数の減少を感じているといいます。
公衆電話の利用者
「昔はあちこち天文館の向こうも電話ボックスがあったんですけど、もうほとんどなくなっている」
公衆電話の始まりは、今から約120年前の1900年。
当時は「自働電話」と呼ばれていました。
その後、1950年代に「赤電話」と呼ばれる公衆電話が、地域の商店などに設置され、利用が急激に増加。
次第に電話ボックス用の「青色」や、10円玉だけでなく100円玉も使える「黄色」など色の変化を経て、現在の「緑色」の公衆電話へと移り変わっていきました。
こちらは1980年代の鹿児島大学の合格発表の映像です。
合格者が向かった先にあるのは公衆電話。
携帯電話が普及していない時代、嬉しい報告のそばには、公衆電話と利用者の笑顔がありました。
では、現在の公衆電話を取り巻く環境はどうなっているのでしょうか。
NTT西日本鹿児島支店・床次睦登広報課長
「スマートフォンの普及に伴う、SNSやチャット等によるコミュニケーションが主流となってきていることから、公衆電話の利用は大きく減少している」
こちらのグラフは県内の過去10年間の公衆電話の設置台数の推移です。
毎年減少が続き、2014年度に3120台あった公衆電話は、2023年度は1646台と10年前からほぼ半減しています。
しかし、公衆電話に未来がないわけではありません。
「受話器を持ち上げて、耳に当てて、『プー』といってからボタンを押してください」
11月、姶良市で開かれた防災教室です。
公衆電話について啓発活動を行う日本公衆電話会が定期的に行っているものです。
「受話器を取って、カードを差し込む」
「まず耳に当てておいてごらん。『プー』っというから」
「あら、入れ方が違う」
講師を務めた上村孝美さんが訴えるのは、公衆電話の災害時の役割です。
日本公衆電話会 鹿児島・宮崎支部事務局長・上村孝美さん
「災害時に”優先電話”になる。緊急時には大事になる」
街の人の中には、実際に災害時の公衆電話の利便性を実感した人もいました。
70代女性
「(私は)関西人なんです。阪神淡路大震災で家の電話が使えなくて、公衆電話しか使えない時があって。必要な事があるかもしれないと思って、テレホンカードは持っている。あの時の教訓で」
そして今、公衆電話は災害時の避難所で新たな形に生まれ変わっていました。
鹿児島市の避難所に指定されている、たてばば福祉館。
市の職員が倉庫から取り出したのは、一般家庭でよく目にする固定電話。実は「特設公衆電話」と呼ばれるものです。特設公衆電話は、各自治体とNTTが協定を結び設置するもので、一部の避難所には平常時でも公衆電話と同じ回線が引かれています。
大規模災害が起こったときには、この電話機を回線に接続するだけで、すぐに優先電話として使うことができるのです。
この特設公衆電話の県内の設置台数は増加していて、2022年にはついに普通の公衆電話の設置数を超えました。
鹿児島市地域福祉課・岩下啄巳さん
「災害時にも使えるというところで、市で出前トークや地区別防災研修会などでも周知していきたい」
120年以上の歴史を持つ公衆電話。
その役割は。時代のニーズに合わせ変化を続けています。
普段見かけることは少なくなりましたが、これからも大事な連絡手段の一つであることに変わりはないようです。
携帯やスマートフォンの普及で、台数が減ってきたこの公衆電話ですが、つながりやすいというメリットをいかし、大規模災害時における活躍が期待される新たな公衆電話が数を増やしていたんです。
現状を取材しました。
街に設置された公衆電話。
あなたはいつ、何のために使いましたか?
30代男性
「使ったの、10年くらい前かな」
Q.どういう理由で使いましたか?
「覚えてないなあ」
50代女性
「すぐつながるんですよ。だからライブのチケット取りに(使っていた)。(さかのぼると)何十年前になる」
30代男性
「携帯電話を持っていない時に、母や父、家族を呼ぶ時に使っていた」
見かける機会が少なくなった公衆電話。
番組ではKTSアプリで、公衆電話に関するアンケートを実施。
1週間で839人から回答が集まりました。
最後に公衆電話を使った時期について聞くと「5年以上前」と答えた人が全体の63.8%に上り、約20%が使ったことがないという回答でした。
公衆電話を使用した理由を見てみると、「携帯電話が壊れた」「子どもに使い方を教える」「自分の番号を知られたくない」など様々でした。
実際に街の公衆電話の利用状況はどうなっているのか?
鹿児島市の天文館公園に定点カメラを設置し、3日間で10時間ほど取材したところ、、、
4人が利用していました。
利用者の中には、見知らぬ番号からの折り返しに、防犯上の理由から公衆電話を使うという人もいました。
また、こちらの利用者は台数の減少を感じているといいます。
公衆電話の利用者
「昔はあちこち天文館の向こうも電話ボックスがあったんですけど、もうほとんどなくなっている」
公衆電話の始まりは、今から約120年前の1900年。
当時は「自働電話」と呼ばれていました。
その後、1950年代に「赤電話」と呼ばれる公衆電話が、地域の商店などに設置され、利用が急激に増加。
次第に電話ボックス用の「青色」や、10円玉だけでなく100円玉も使える「黄色」など色の変化を経て、現在の「緑色」の公衆電話へと移り変わっていきました。
こちらは1980年代の鹿児島大学の合格発表の映像です。
合格者が向かった先にあるのは公衆電話。
携帯電話が普及していない時代、嬉しい報告のそばには、公衆電話と利用者の笑顔がありました。
では、現在の公衆電話を取り巻く環境はどうなっているのでしょうか。
NTT西日本鹿児島支店・床次睦登広報課長
「スマートフォンの普及に伴う、SNSやチャット等によるコミュニケーションが主流となってきていることから、公衆電話の利用は大きく減少している」
こちらのグラフは県内の過去10年間の公衆電話の設置台数の推移です。
毎年減少が続き、2014年度に3120台あった公衆電話は、2023年度は1646台と10年前からほぼ半減しています。
しかし、公衆電話に未来がないわけではありません。
「受話器を持ち上げて、耳に当てて、『プー』といってからボタンを押してください」
11月、姶良市で開かれた防災教室です。
公衆電話について啓発活動を行う日本公衆電話会が定期的に行っているものです。
「受話器を取って、カードを差し込む」
「まず耳に当てておいてごらん。『プー』っというから」
「あら、入れ方が違う」
講師を務めた上村孝美さんが訴えるのは、公衆電話の災害時の役割です。
日本公衆電話会 鹿児島・宮崎支部事務局長・上村孝美さん
「災害時に”優先電話”になる。緊急時には大事になる」
街の人の中には、実際に災害時の公衆電話の利便性を実感した人もいました。
70代女性
「(私は)関西人なんです。阪神淡路大震災で家の電話が使えなくて、公衆電話しか使えない時があって。必要な事があるかもしれないと思って、テレホンカードは持っている。あの時の教訓で」
そして今、公衆電話は災害時の避難所で新たな形に生まれ変わっていました。
鹿児島市の避難所に指定されている、たてばば福祉館。
市の職員が倉庫から取り出したのは、一般家庭でよく目にする固定電話。実は「特設公衆電話」と呼ばれるものです。特設公衆電話は、各自治体とNTTが協定を結び設置するもので、一部の避難所には平常時でも公衆電話と同じ回線が引かれています。
大規模災害が起こったときには、この電話機を回線に接続するだけで、すぐに優先電話として使うことができるのです。
この特設公衆電話の県内の設置台数は増加していて、2022年にはついに普通の公衆電話の設置数を超えました。
鹿児島市地域福祉課・岩下啄巳さん
「災害時にも使えるというところで、市で出前トークや地区別防災研修会などでも周知していきたい」
120年以上の歴史を持つ公衆電話。
その役割は。時代のニーズに合わせ変化を続けています。
普段見かけることは少なくなりましたが、これからも大事な連絡手段の一つであることに変わりはないようです。