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イオン鹿児島鴨池店が約半世紀の歴史に幕 最終日には2万人が来店し別れを惜しむ 

2024年9月2日(月) 18:30

49年前にダイエーとして開業して以来、多くの鹿児島県民に親しまれたイオン鹿児島鴨池店が8月31日に閉店しました。

家族みんなで行った思い出があるという人も多いと思います。

31日は約2万人が来店しその別れを惜しみました。

お客さんが語る数々の思い出、そして最終営業日の様子をお伝えします。


「皆様方に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました」

「ありがとう」「ありがとう」

イオン鹿児島鴨池店・中村武店長
「イオン鹿児島鴨池店閉店いたします」

8月31日、49年の長い歴史に幕を下ろしたイオン鹿児島鴨池店。

もともとは1975年「ダイエー鹿児島ショッパーズプラザ」としてこの鴨池の地にオープンしました。

鹿児島では初めての大型スーパー。

オープン当日は雨にもかかわらず、来店者数は延べ8万人と大変な混雑ぶりでした。

以来、鴨池ダイエーとして親しまれ、正月の初商いではご覧のような大にぎわい。

県外資本の大型商業施設の誕生は県内に流通競争をもたらしたと言われています。

九州経済研究所 経済調査部・福留一郎部長
「鹿児島経済にメガトン級のインパクトを与えた。ダイエーは安値で勝負を打ち出して、さらに大型店舗ですから、当然、品揃えも豊富。ダイエーが1店舗出てきただけでお客さんがどーっと流れていった。それもまざまざと見せつけられた」

その後2015年、ダイエーはイオン九州に営業権が移り、店名が「イオン鹿児島鴨池店」に変わりました。

ダイエー時代から数えるとその歴史はほぼ半世紀、施設の老朽化を主な理由に閉店が決まりました。

閉店を控えた先週、店内を訪れました。

坪内一樹アナウンサー
「鴨池のこのお店の一番のシンボルといえば、3階までの吹き抜けではないでしょうか」

売り場には売り尽くしの文字が並び、商品も少なくなっていました。

一方、店内にはお客さんから寄せられた多くのメッセージも。

県民にとってここはどんな場所だったのでしょうか?

思い出を聞きました。

女性
「家族とみんなで来て、アイスクリームを食べたのが思い出。子どもの時の思い出と、家族の思い出と詰まっているなという感じ。ちょっと涙でそう」

女性
「家族の思い出の場所として。あの銅像とか必ず乗ってウマとヤギとクマと」

「地元の友達と遊ぶとなったら、やっぱ鴨ダイ行こうぜという」

こちらの男性は当時働いていたこの場所で奥様と出会ったそうです。

男性
「家内と知り合ったのがここだったもので。最後だから来てみた。奥に着物屋があってそこにいた。思い出ですね」

そして鴨池のダイエー、イオンといえばやはりこのクレープ屋さん。

全国チェーンのお店で、1997年からこの場所で甘い香りを放ち続けました。

店長の福元さんも子どもの頃、このクレープを食べたそうです。

Q.まさかその店長になるとは?
「思ってなかった。懐かしんで来てくれる客がとても多くて。最後と思ってひとつひとつ丁寧にできたら」

2024年1月末に閉店が発表されてから7カ月。

ついにこの日を迎えました。

轟木康陽記者
「現在、午後2時半です。きょうが閉店の日ということもあって、車が続々と駐車場に入っていきます」

駐車場の入り口には車の長い列。

最終日には約2万人が訪れ、食料品売り場や洋服店、飲食店、どのエリアも多くの人で賑わっていました。

来店客
「全フロアを見て帰ろうと思う」

クレープ屋さんにもひときわ長い行列が。

やがて日は傾き、最後の買い物を終えた客が次々に店をあとにします。

そして時刻は午後7時。

閉店の時間が迫る中、約1000人が最後の瞬間を見届けようと店頭にあつまり、近くの歩道橋まで大勢の人で埋まりました。

イオン鹿児島鴨池店・中村武店長
「閉店を惜しむ声など実に3000もの心温まるメッセージをいただいた。今まで本当にありがとうございました」

「ありがとう」
「よかった」
「ご苦労様」

イオン鹿児島鴨池店・中村武店長
「イオン鹿児島鴨池店閉店いたします」

お客さん
「自分もここで3年間働いていたので、思い出がいっぱいありますね」
「自分の人生のいろんな節目にダイエーがあったので、ここに来ることがないんだなと思うとすごく寂しくて『ありがとうございました』という気持ちでいっぱい」

県民に根付き、愛され、当たり前の存在となっていた鴨池のダイエー、イオン。

それぞれにたくさんの思い出を残し、49年の長い歴史が終わりを迎えました。

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