多くの遺体が奄美大島に 沖縄の児童 「対馬丸」の歴史学ぶ
2026年9月16日(水) 11:15
戦時中、アメリカ軍の攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者が流れ着いた奄美大島に沖縄県の小学生が訪れ、戦争の悲惨さを学びました。
対馬丸は太平洋戦争中の1944年8月、沖縄から疎開する子どもや教師らを乗せ、航行中にアメリカ軍の攻撃を受け沈没し、1500人近くが犠牲になりました。
この対馬丸の歴史を学ぼうと、多くの遺体が流れ着いた奄美大島にこの夏、沖縄県の小学生9人が訪れました。
大和村の海岸では当時、地域住民が波が来ない場所に遺体を埋め、一人一人墓標を立てた話に耳を傾けていました。
また宇検村では、慰霊碑が建立されている船越海岸で菊の花を海に投げ入れ、犠牲者者を悼みました。
沖縄県の小学生
「二度と戦争が起きてほしくないと考えながら(海に献花した)」
「戦争を始めることは簡単だけど、謝ることは難しいことなので、あまり簡単にけんかしないように普段から心がけたい」
対馬丸は太平洋戦争中の1944年8月、沖縄から疎開する子どもや教師らを乗せ、航行中にアメリカ軍の攻撃を受け沈没し、1500人近くが犠牲になりました。
この対馬丸の歴史を学ぼうと、多くの遺体が流れ着いた奄美大島にこの夏、沖縄県の小学生9人が訪れました。
大和村の海岸では当時、地域住民が波が来ない場所に遺体を埋め、一人一人墓標を立てた話に耳を傾けていました。
また宇検村では、慰霊碑が建立されている船越海岸で菊の花を海に投げ入れ、犠牲者者を悼みました。
沖縄県の小学生
「二度と戦争が起きてほしくないと考えながら(海に献花した)」
「戦争を始めることは簡単だけど、謝ることは難しいことなので、あまり簡単にけんかしないように普段から心がけたい」

















































































































