太平洋戦争 真珠湾攻撃から84年 突入する特攻機などの映像公開 種子島や喜界島への機銃掃射も
2025年12月8日(月) 18:54
12月8日は1941年に旧日本軍がアメリカ、ハワイの真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった日です。
そんな中、7日、大分の市民団体が、新たに確認された太平洋戦争末期の複数の映像を報道陣に公開しました。
そこには人の命が失われていく戦争の一場面が淡々と記録されていました。
アメリカ空母「ヨークタウン」の飛行甲板上を慌ただしく駆け回る水兵たち。
これは、大分の市民団体、豊の国宇佐市塾が入手・解析した映像です。
撮影されたのは、沖縄戦が始まって間もない昭和20年3月29日。
場所は九州の沖合。
特攻機を迎撃するため大急ぎで発進するF6F戦闘機の向こうでは、3機の飛行機による戦闘が展開されていました。
被弾して炎を上げる爆撃機・彗星。
この機体は現在の鹿児島県霧島市にあった第一国分基地から出撃した特攻機でした。
コントロールを失った彗星が目標としていたヨークタウンをわずかに逸れて、海面に突入する様子が3人のカメラマンによってそれぞれ撮影されています。
アメリカ側にも損害が出ました。
彗星を追っていたF6Fの後方に黒煙が上がります。
日本機と間違われて、味方であるアメリカの軍艦からの射撃を受けたのです。
この誤射により2機が墜落し、パイロットはいずれも戦死しました。
こちらは昭和20年7月28日、鹿児島県中種子町にあった種子島飛行場への機銃掃射の様子です。
これまでに何度も攻撃を受けてきたのか、格納庫は既に穴だらけとなっていました。
鹿児島県南種子町の灯台も標的となりました。
機銃弾が命中するたびに灯台から火花が上がります。
さらにこちらは昭和20年4月20日、鹿児島県の喜界島北東部・志戸桶集落にあった模擬飛行場に対する機銃掃射の様子です。
模擬飛行場は、喜界島の南部にあった海軍飛行場に攻撃を集中させないために作られた、いわば囮の飛行場です。
しかし、その周囲にあった小学校や集落も巻き添えとなり、米軍機の攻撃にさらされました。
公開された音のない空襲映像。
そこには軍人、民間人を問わず、多くの命が奪われた事実が淡々と記録されています。
そんな中、7日、大分の市民団体が、新たに確認された太平洋戦争末期の複数の映像を報道陣に公開しました。
そこには人の命が失われていく戦争の一場面が淡々と記録されていました。
アメリカ空母「ヨークタウン」の飛行甲板上を慌ただしく駆け回る水兵たち。
これは、大分の市民団体、豊の国宇佐市塾が入手・解析した映像です。
撮影されたのは、沖縄戦が始まって間もない昭和20年3月29日。
場所は九州の沖合。
特攻機を迎撃するため大急ぎで発進するF6F戦闘機の向こうでは、3機の飛行機による戦闘が展開されていました。
被弾して炎を上げる爆撃機・彗星。
この機体は現在の鹿児島県霧島市にあった第一国分基地から出撃した特攻機でした。
コントロールを失った彗星が目標としていたヨークタウンをわずかに逸れて、海面に突入する様子が3人のカメラマンによってそれぞれ撮影されています。
アメリカ側にも損害が出ました。
彗星を追っていたF6Fの後方に黒煙が上がります。
日本機と間違われて、味方であるアメリカの軍艦からの射撃を受けたのです。
この誤射により2機が墜落し、パイロットはいずれも戦死しました。
こちらは昭和20年7月28日、鹿児島県中種子町にあった種子島飛行場への機銃掃射の様子です。
これまでに何度も攻撃を受けてきたのか、格納庫は既に穴だらけとなっていました。
鹿児島県南種子町の灯台も標的となりました。
機銃弾が命中するたびに灯台から火花が上がります。
さらにこちらは昭和20年4月20日、鹿児島県の喜界島北東部・志戸桶集落にあった模擬飛行場に対する機銃掃射の様子です。
模擬飛行場は、喜界島の南部にあった海軍飛行場に攻撃を集中させないために作られた、いわば囮の飛行場です。
しかし、その周囲にあった小学校や集落も巻き添えとなり、米軍機の攻撃にさらされました。
公開された音のない空襲映像。
そこには軍人、民間人を問わず、多くの命が奪われた事実が淡々と記録されています。


















































































































