熊本地震から10年、益城町の復興と教訓 「後世へ伝える」当事者の声
2026年4月15日(水) 12:00
震度7を2度観測した熊本地震から14日で10年です。
鹿児島でも最大で震度5弱を観測し、記憶に残っている人も多いと思います。
10年が経過した今、被災地の復興はどう進んだのか?
そして、あの日の教訓はどう生かされているのか?
熊本出身で、高校生の時にこの地震を経験した多田記者が現地を歩きました。
熊本県益城町にある潮井神社です。
参道に続く石段は横にずれ、神木は根元から倒れ、大きな力が加わったことが分かります。
熊本地震の記憶を伝えるために当時のまま遺されています。
高校生だった10年前、私は熊本市内の学習塾で地震に見舞われました。
2016年4月14日午後9時26分、熊本を襲った強烈な揺れ。
私は必死に机の下に身を隠しました。
学習塾からの帰り道、一瞬で変わってしまった街並みを見て、呆然としたことを覚えています。
さらに2日後の4月16日の未明に本震が発生。
まだ寒さの残る春先、深夜に家族と身を寄せ合い屋外に避難しました。
死者278人、住宅被害は約20万軒に及びました。
甚大な被害をもたらした熊本地震から10年。
被災地は今どうなっているのか、震度7を2度観測した益城町を訪ねました。
直接死、災害関連死で45人が亡くなり、約98%の住宅が被害を受けた町です。
「黙祷」
被災者それぞれに忘れられない記憶があります。
民生委員を務めるこの女性は知人を亡くしました。
知人を亡くす・内山美佐子さん(68)
「2階建てが1階に潰れて、1階にいた人が亡くなったという知り合いがいて、その思いも未だにまだ消化しきれない。亡くなられたんだけどまだ実際亡くなっていないんじゃないのかって」
街であった2人の男性は。
益城町民
「姉夫婦は地震で亡くなりました。(揺れは)一回も体験したことない大きさ」
「こっちもこっちも山の中にも何軒かあったが全滅だった」
Q.この10年はどうだった?
「暮らしている時は長かったけど、今思えばあっという間ですね、10年」
自宅で当時の写真を見せてくれたのは、篠原晴美さん78歳。
篠原晴美さん(78)
「瓦ですよね。どうしたらこんなに崩れるんだろうと思った」
2階建ての1階部分が押しつぶされた住宅。
撮影された場所を訪ねると、建物は新しく建て変わっていました。
この10年で確実に復興は進み、当時のがれきの風景は一変した益城町。
しかし、篠原さんが難しいと話すのが心の復興です。
篠原さん
「(あっという間という思い、長かったという思い)どっちもあるよね、ああもう10年というのと。でも、なかなか怖かったという思いは消えない。いつまで経っても(怖さは)消えないと思う。一生残っているんだと思う。今は笑って過ごしているけど、地震の後に夫が亡くなったのよ。地震の時にうつ病みたいになって」
Q.震災前は元気だった?
「元気だったと思う。その後は病気の名前が分かって、(医者は)全然違う病気の名前付けてもらったけど」
災害関連死には数えられない地震の傷。
益城町に住んでいた私の祖父も地震で住宅が全壊し、3年後になくなりました。
街は元通りになっても被災したそれぞれの人たちに癒えない心の傷が残されています。
それでも熊本地震の取材をすると決めた中で、私には会いたい人がいました。
「(ここから見える)農業用の納屋はほとんど倒壊した」
益城町から約20キロ離れた甲佐町でグループホームを経営する高橋恵子さんです。
私は当時の辛さを思い出したくないと、これまで熊本地震のことを口にするのを避けてきましたが、高橋さんは逆でした。
認知症を患う入居者9人とスタッフとの避難生活の経験を、本として出版したのです。
高橋さん
「(地震の時)アラームが鳴るでしょ。みんなは『ワーッ』と外に出ていく声が聞こえるが、私たちは布団かぶって、横になることしかできなかった」
Q. 逃げるに逃げられない状況?
「逃げるに逃げられない。みんな背負って一気に出られない」
「最初に避難したところが、和式トイレしかないところだったため、職員が自分の膝を使って、膝の上に利用者を乗せてトイレをさせていた」
本は避難生活の体験記にとどまらず、支援してくれるボランティアへの配慮、災害に備え準備しておくべき物資など地震の体験者ならではの情報がびっしりと記されています。
高橋さん
Q.本を執筆した理由は?
「10年経った時にきっと熊本地震を知らない人が出てくるんだろうなと思って。あの時のことは後世に残さないと、また同じことが色々な所で起きるのではと思った。認知症の人を支えるのとスタッフ、自分たちを支えて生き残るために体験を残しておくことはすごく大事なんじゃないかと思った」
熊本地震の教訓をどう生かすのか…
そして、どうつなげるのか…。
高橋さんは自ら発信することでその答えを出そうとしていました。
4月11日、熊本市の上空を華麗に舞ったブルーインパルス。
空に向かって一直線に伸びる飛行機雲は、地震後も顔を上げて前に進む熊本の人たちを象徴しているようでした。
益城町民
「(復興を)お祝いしてくれる、そんな気持ちがうれしい」
一瞬で多くのことが失われた熊本地震。
熊本の象徴でもある熊本城は復旧まで30年近くかかるそうです。
これからも一歩ずつ復興への歩みを進める中で、地震のことを次の世代に伝えていく。
10年という月日がたった今、被災地を歩きその大切さに改めて気づきました。
鹿児島でも最大で震度5弱を観測し、記憶に残っている人も多いと思います。
10年が経過した今、被災地の復興はどう進んだのか?
そして、あの日の教訓はどう生かされているのか?
熊本出身で、高校生の時にこの地震を経験した多田記者が現地を歩きました。
熊本県益城町にある潮井神社です。
参道に続く石段は横にずれ、神木は根元から倒れ、大きな力が加わったことが分かります。
熊本地震の記憶を伝えるために当時のまま遺されています。
高校生だった10年前、私は熊本市内の学習塾で地震に見舞われました。
2016年4月14日午後9時26分、熊本を襲った強烈な揺れ。
私は必死に机の下に身を隠しました。
学習塾からの帰り道、一瞬で変わってしまった街並みを見て、呆然としたことを覚えています。
さらに2日後の4月16日の未明に本震が発生。
まだ寒さの残る春先、深夜に家族と身を寄せ合い屋外に避難しました。
死者278人、住宅被害は約20万軒に及びました。
甚大な被害をもたらした熊本地震から10年。
被災地は今どうなっているのか、震度7を2度観測した益城町を訪ねました。
直接死、災害関連死で45人が亡くなり、約98%の住宅が被害を受けた町です。
「黙祷」
被災者それぞれに忘れられない記憶があります。
民生委員を務めるこの女性は知人を亡くしました。
知人を亡くす・内山美佐子さん(68)
「2階建てが1階に潰れて、1階にいた人が亡くなったという知り合いがいて、その思いも未だにまだ消化しきれない。亡くなられたんだけどまだ実際亡くなっていないんじゃないのかって」
街であった2人の男性は。
益城町民
「姉夫婦は地震で亡くなりました。(揺れは)一回も体験したことない大きさ」
「こっちもこっちも山の中にも何軒かあったが全滅だった」
Q.この10年はどうだった?
「暮らしている時は長かったけど、今思えばあっという間ですね、10年」
自宅で当時の写真を見せてくれたのは、篠原晴美さん78歳。
篠原晴美さん(78)
「瓦ですよね。どうしたらこんなに崩れるんだろうと思った」
2階建ての1階部分が押しつぶされた住宅。
撮影された場所を訪ねると、建物は新しく建て変わっていました。
この10年で確実に復興は進み、当時のがれきの風景は一変した益城町。
しかし、篠原さんが難しいと話すのが心の復興です。
篠原さん
「(あっという間という思い、長かったという思い)どっちもあるよね、ああもう10年というのと。でも、なかなか怖かったという思いは消えない。いつまで経っても(怖さは)消えないと思う。一生残っているんだと思う。今は笑って過ごしているけど、地震の後に夫が亡くなったのよ。地震の時にうつ病みたいになって」
Q.震災前は元気だった?
「元気だったと思う。その後は病気の名前が分かって、(医者は)全然違う病気の名前付けてもらったけど」
災害関連死には数えられない地震の傷。
益城町に住んでいた私の祖父も地震で住宅が全壊し、3年後になくなりました。
街は元通りになっても被災したそれぞれの人たちに癒えない心の傷が残されています。
それでも熊本地震の取材をすると決めた中で、私には会いたい人がいました。
「(ここから見える)農業用の納屋はほとんど倒壊した」
益城町から約20キロ離れた甲佐町でグループホームを経営する高橋恵子さんです。
私は当時の辛さを思い出したくないと、これまで熊本地震のことを口にするのを避けてきましたが、高橋さんは逆でした。
認知症を患う入居者9人とスタッフとの避難生活の経験を、本として出版したのです。
高橋さん
「(地震の時)アラームが鳴るでしょ。みんなは『ワーッ』と外に出ていく声が聞こえるが、私たちは布団かぶって、横になることしかできなかった」
Q. 逃げるに逃げられない状況?
「逃げるに逃げられない。みんな背負って一気に出られない」
「最初に避難したところが、和式トイレしかないところだったため、職員が自分の膝を使って、膝の上に利用者を乗せてトイレをさせていた」
本は避難生活の体験記にとどまらず、支援してくれるボランティアへの配慮、災害に備え準備しておくべき物資など地震の体験者ならではの情報がびっしりと記されています。
高橋さん
Q.本を執筆した理由は?
「10年経った時にきっと熊本地震を知らない人が出てくるんだろうなと思って。あの時のことは後世に残さないと、また同じことが色々な所で起きるのではと思った。認知症の人を支えるのとスタッフ、自分たちを支えて生き残るために体験を残しておくことはすごく大事なんじゃないかと思った」
熊本地震の教訓をどう生かすのか…
そして、どうつなげるのか…。
高橋さんは自ら発信することでその答えを出そうとしていました。
4月11日、熊本市の上空を華麗に舞ったブルーインパルス。
空に向かって一直線に伸びる飛行機雲は、地震後も顔を上げて前に進む熊本の人たちを象徴しているようでした。
益城町民
「(復興を)お祝いしてくれる、そんな気持ちがうれしい」
一瞬で多くのことが失われた熊本地震。
熊本の象徴でもある熊本城は復旧まで30年近くかかるそうです。
これからも一歩ずつ復興への歩みを進める中で、地震のことを次の世代に伝えていく。
10年という月日がたった今、被災地を歩きその大切さに改めて気づきました。





















































































































