3人が死亡 奄美豪雨災害から15年 奄美市で防災シンポジウム 対策や風化させない取り組み続く 鹿児島
2025年10月20日(月) 18:35
記録的な大雨で3人が犠牲になった奄美豪雨災害の発生から20日で15年です。
奄美市役所では犠牲者に黙とうがささげられたほか、災害を風化させないための取り組みも続いています。
20日午後2時、奄美市役所では職員が15年前の災害で犠牲になった住民に対して黙とうをささげました。
2010年10月20日に発生した奄美豪雨災害。
降り始めからの雨量は800ミリを越え、奄美市と龍郷町であわせて3人が亡くなり、住宅1300棟以上に被害がでました。
奄美市ではこの15年間で、河川の排水対策工事や防災行政無線のデジタル化、ハザードマップの全戸配布など、ハード面とソフト面で防災対策を行ってきましたが、担当者は住民の
防災意識を高めることが課題だと話します。
奄美市 防災危機管理室・徳山一史室長
「自主防災組織は喫緊の課題。住用地区、笠利地区は100%ですが、人口の多い名瀬地区(84.15%)が依然低い。しっかり行政として対応していきたい」
こうしたなか、19日奄美市では防災シンポジウムが開かれ、関係者が15年前を振り返りました。
当時、市の職員だった満田英和さんは被害が最も大きかった奄美市住用町で災害対応にあたっていました。
当時市職員として災害対応・満田英和さん
「(住用総合)支所の前を走る国道が濁流で急激に水位が高くなり、ものすごい勢いで流れている状況を目の当たりにした」
「支所の1階は完全に飲み込まれ、水没状態。支所が完全に孤立状態になり、何もできないまま時間だけが過ぎて、一歩も外に出ることができる状況ではなかった」
満田さんは路線バスの協力で夜間に特別養護老人ホームの入所者ら全員を避難させたことや、住民同士の助け合いといったボランティア活動が機能し、復旧につながったことなどを話しました。
また当時、災害発生時から24時間体制で放送を続けたあまみエフエム代表の麓憲吾さんも当時を次のように振り返りました。
24時間体制で放送継続 あまみエフエム・麓憲吾さん
「この連続した災害放送は24時間、5日間、続けた。5日間であまみエフエムに寄せられた情報は800通を超えた。奄美市をはじめ地域のリスナーさんとともに構築できた災害放送だった」
会場を訪れた市民からは当時の教訓を生かし、日頃から備えを進めているという声も聞かれました。
訪れた住民
「非常食とか持ち出しものは気をつけて用意するようになった」
「連絡を密に取るとか、避難訓練に参加するようになった」
奄美支局・麓伊賀久記者
「100年に一度と言われた奄美豪雨災害以降も奄美地方は、毎年のように台風や大雨に見舞われています。この災害を忘れず住民一人一人がこれからの防災につなげていくことが求められます」
奄美市役所では犠牲者に黙とうがささげられたほか、災害を風化させないための取り組みも続いています。
20日午後2時、奄美市役所では職員が15年前の災害で犠牲になった住民に対して黙とうをささげました。
2010年10月20日に発生した奄美豪雨災害。
降り始めからの雨量は800ミリを越え、奄美市と龍郷町であわせて3人が亡くなり、住宅1300棟以上に被害がでました。
奄美市ではこの15年間で、河川の排水対策工事や防災行政無線のデジタル化、ハザードマップの全戸配布など、ハード面とソフト面で防災対策を行ってきましたが、担当者は住民の
防災意識を高めることが課題だと話します。
奄美市 防災危機管理室・徳山一史室長
「自主防災組織は喫緊の課題。住用地区、笠利地区は100%ですが、人口の多い名瀬地区(84.15%)が依然低い。しっかり行政として対応していきたい」
こうしたなか、19日奄美市では防災シンポジウムが開かれ、関係者が15年前を振り返りました。
当時、市の職員だった満田英和さんは被害が最も大きかった奄美市住用町で災害対応にあたっていました。
当時市職員として災害対応・満田英和さん
「(住用総合)支所の前を走る国道が濁流で急激に水位が高くなり、ものすごい勢いで流れている状況を目の当たりにした」
「支所の1階は完全に飲み込まれ、水没状態。支所が完全に孤立状態になり、何もできないまま時間だけが過ぎて、一歩も外に出ることができる状況ではなかった」
満田さんは路線バスの協力で夜間に特別養護老人ホームの入所者ら全員を避難させたことや、住民同士の助け合いといったボランティア活動が機能し、復旧につながったことなどを話しました。
また当時、災害発生時から24時間体制で放送を続けたあまみエフエム代表の麓憲吾さんも当時を次のように振り返りました。
24時間体制で放送継続 あまみエフエム・麓憲吾さん
「この連続した災害放送は24時間、5日間、続けた。5日間であまみエフエムに寄せられた情報は800通を超えた。奄美市をはじめ地域のリスナーさんとともに構築できた災害放送だった」
会場を訪れた市民からは当時の教訓を生かし、日頃から備えを進めているという声も聞かれました。
訪れた住民
「非常食とか持ち出しものは気をつけて用意するようになった」
「連絡を密に取るとか、避難訓練に参加するようになった」
奄美支局・麓伊賀久記者
「100年に一度と言われた奄美豪雨災害以降も奄美地方は、毎年のように台風や大雨に見舞われています。この災害を忘れず住民一人一人がこれからの防災につなげていくことが求められます」
















































































































