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「有終の美を飾ってほしい」24日に最終号機打ち上げ予定 H2Aロケットの歩んだ道

2025年6月17日(火) 20:40

国産の主力ロケットとして高い成功率を誇ってきたH2Aロケット。その最終号機、50号機が6月24日、鹿児島・種子島宇宙センターから打ち上げられる予定です。

2001年の1号機の打ち上げから約25年。H2Aロケットは街や地元の人々にどのような価値をもたらしたのか。その歩みを振り返ります。

2024年9月、種子島の夜道にできた人だかり。多くの人がスマートフォンを構えてじっとその瞬間を待ちます。

H2Aロケットとしては最後となる50号機が種子島宇宙センターに運ばれていました。

機体移送にかけつけたファン
「震えちゃった。ちょっと感動して」
Q.実際の打ち上げを見に行くの?
「はい。絶対見に行く」

2001年8月、初号機が打ち上げられたH2Aロケット。国際競争力の強化を目指して開発された新たな機体です。

それまで運用されてきたH2ロケットを改良したその最大の特徴は、大幅なコストダウンです。国産にこだわっていた部品の一部を海外産に変えるなどして、打ち上げコストをH2の半分ほどに抑えることに成功したといいます。

この歴史的な打ち上げを当時、現地で撮影していた人がいます。

南種子町で写真館を営む京極義一さんです。

きょうごく写真屋・京極義一さん(66)
「一番よく撮れたのはH2Aの1号機。これを売っていたときにJAXAから『内緒で敷地内で撮ってたんじゃないですか』とお尋ねがあった。いえいえ違う、恵美之江展望公園です(笑)」

H2Aロケットの全ての打ち上げを写真におさめてきた京極さん。

印象に残っている写真があります。

2003年11月に撮影された6号機です。

順調に宇宙に上ったように見えましたが、、、

「ロケットはミッションを達成する見込みがないとの判断から、指令破壊信号を送信しました」という衝撃のアナウンスが流れました。

初めての打ち上げ失敗でした。

京極さんはこの6号機について意外なことを口にしました。

「6号機の時はこれ写ってますけど、実際は見えなかった。雨が降っていて。帰ってきて現像してみたら写っているやんって」

Q.他の写真と比べて買う人は多かった?
「実は結構いた。2、3割増しかな。(失敗して)出回らないから欲しい、みたいな」

成功しても、失敗しても注目を浴びる宇宙への挑戦。

約1年3カ月後、技術者たちが再起をかけた7号機の打ち上げ。見事、成功しました。打ち上げ後の会見で当時の担当者は「最後の衛星分離で大喜びすることができた」と、声を震わせました。

ここからH2Aロケットは進化や挑戦を重ねながら連続で打ち上げに成功します。

ロケットに搭載された人工衛星は気象や位置情報という形で、私たちの生活に恩恵をもたらしています。

2023年に打ち上げられた47号機。搭載された無人探査機「SLIM」は日本初の月面着陸に成功。誤差100m以内というピンポイント着陸の技術は、世界を驚かせました。

当時の担当者「あの映像を見た瞬間、私は腰が抜けそうになったんですけれども」

H2Aロケットは7号機から49号機まで連続で打ち上げに成功。成功率約98%は世界最高水準です。

そして打ち上げのペースも上がり、H2Aは単純計算で年間2回以上打ち上げられてきました。他のロケットと比較してもその多さが分かります。

回数が増えた分、地元種子島には多くの経済効果ももたらされました。

南種子町が指定する4つの見学場には、H2Aロケット1回の打ち上げで町の人口の約4割にあたる約2000人が訪れてきたそうです。

宿泊施設のオーナー
「ロケットの打ち上げがあるたびに満室。何日間にわたって満室になっているので」

Q.宇宙センターがなかったら同じ仕事をやっていますか?
「いや、多分やっていない。多分種子島には帰ってこなかった」

飲食店の関係者
「ロケットがなかったら本当の離島に等しいのでは。ロケットにあやかっての南種子の経済効果、成長は計り知れない」

ロケットに魅了されて人生まで変わった人も。

物心ついたときからロケットが身近なものだったという崎田善昭さん(57)です。

地元南種子町で農業をやりつつ、ロケットの撮影をしていた崎田さんに転機が訪れたのは約10年前のこと。

崎田善昭さん(57)
「コンテナの船から降ろす陸送を撮影して、こちらに来ていたNVSさんと知り合いになって、『種子島の現地特派員として所属してください』ということで」

ロケットの打ち上げや記者会見の配信を行うNVSの関係者にスカウトされ、一ファンからロケットを伝える側へと転身したのです。

崎田さん
「よかった。普通の人が見られないところを見たり、普段は話を聞くことのできないプロジェクトマネージャにもお話を聞けるので。H2Aもこれで最後ということで、有終の美を飾ってほしい」

25年という歴史の中で地元経済はもちろん、時に、人生にも影響を与えてきたH2Aロケット。

写真館の京極さんにいつもの撮影スポットに案内してもらいました。

京極さん
「実際にはこんな感じで、こうやって撮って。当日もきょうぐらいの天気だといいんけど。まず平常心でちゃんと写真を撮らないと。ばっちり撮らないと。期待に応えないと行けないので」

日本の宇宙開発の技術をより確かなものにしたH2Aロケット。

多くの人の思いを乗せ、6月24日、最終号機が種子島の夜空に打ち上げられる予定です。

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