
2015年5月29日、口永良部島の新岳が大規模噴火。
島に住む人全員が島外に避難し、避難は長期化しました。
あれから10年。
私は初めて取材で口永良部島を訪れました。

フェリー太陽Ⅱで屋久島から口永良部島に向かいました。
フェリーから口永良部島を見ると、過去の噴火の跡がはっきりと地層に残っているのが確認できました。
フェリーは本村港に入港し、口永良部島に上陸。
最初の印象は、緑が多い静かな時間が流れる場所。

口永良部島では2日間取材をしました。
島の皆さんには、本当にお世話になりました。
特に、口永良部島の消防団長の山口正行さんには大変お世話になりました。
山口さんは、当時島民の避難や、島のまとめ役に奔走した方です。
取材の中で、山口さんに火砕流や土石流に飲み込まれた向江浜(むかえはま)地区に案内してもらいました。
現場を見て本当に驚きました。
工事関係者が利用していた家が屋根を残して全て埋まっていました。
幸い、火砕流発生時は誰もいなかったそうです。
この場所は生活道路が通っていましたが、跡形もなく流されていました。
火山の脅威を目の前の光景から感じました。
山口さんは
「ここは大きなスギの林があったけど、それが火砕流で全部枯れてしまった。
山には山肌が一面紫色に染まるほどのツツジが咲いていて、
昔は子どもを連れてよく山登りをして花を見に行っていたが、
自分が生きている間にあの光景が戻ることはもうないでしょうね」
と、少しさみしそうに話してくれました。

山口さんは、10年前に全島避難を経験したことから、
「新岳」と「古岳」の地震計を毎日チェックしているそうです。
また避難訓練も実施し、これまでは訓練になかなか参加してくれなかった人も、積極的に訓練に参加してくれるようになったと、島民の意識の変化についても話してくれました。

今回私は、口永良部島の全島避難から10年ということで取材をしました。
ですが、島の皆さんにとっては全く関係ありません。
一日一日を必死に前を向いて生きてきて、今日を迎えています。
ですが、10年経ったからこそ取材できた場所があったことも事実です。
鹿児島には活火山が11もあります。
日本には全部で111の活火山があって、その10分の1が鹿児島にあることになります。
私たちは活火山がある鹿児島に住む人間として、どんな心構えで、どう火山と向き合って生活しなければいけないのか。
改めて考えさせられた取材になりました。
いつかプライベートで、島の皆さんとゆっくりお話をしに訪れたいな。