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デフリンピック

デフリンピックスクエアの入り口

今月15日に日本を舞台に開幕したデフリンピック(聴覚障害者の国際大会の最高峰)は
26日に幕を下ろしました。
私は24日と25日の二日間、現地で取材をしました。


鹿児島在住の選手では
デフ陸上の島倉杏奈選手(鹿児島国際大学3年)が男女混合4×400mリレーに出場。
女子のデフバレーには尾塚愛実選手(阿久根市出身)が出場しました!!


島倉選手が4走を走った、男女混合4×400mリレーで日本は6位入賞。
そして日本デフ記録を更新しました!!
このレースはライブ配信での応援となりましたが、最後まで諦めずに走りきった姿、本当にかっこよかったです!!!

 

デフ陸上の会場の外の紅葉したイチョウ

島倉選手は24日に行われた女子の4×400mリレーは出走メンバーに入ることができず
選手たちのサポートにまわりました。
レースのあと、島倉選手にお話を聞くことができました。

私が「初めてのデフリンピックどうでしたか?」と聞くと
島倉選手の口から1番に出てきた言葉は…
「悔しいです!メダルが欲しかったです」でした。

デフリンピックに出場して芽生えた思いを聞くと
「次回のデフリンピックはやり投げと短距離の二刀流でどちらもメダルを取ります!」と
笑顔で話してくれました。
島倉選手、実はメインでやっているのは「やり投げ」なんです。
4年後が楽しみになった、島倉選手のデフリンピックデビューでした。

本当にお疲れ様でした!!!

 

デフバレー会場の入り口

そして、女子のデフバレーに出場した尾塚愛実選手。
尾塚選手を初めて取材したのは7年ほど前のこと。


「耳が聞こえない分、何か一つでも誰にも負けたくない!」と
小学3年生からバレーボールを始め、鶴翔高校時代は3年間エースとして活躍。
2016年に初めてデフバレー日本代表に選出されてからは、
2017年のデフリンピック(トルコ)にエースとして出場し日本の金メダルに貢献。
2022年のデフリンピック(ブラジル)では、キャプテンとして日本チームを引っ張りました。(しかし他の競技の日本選手団に新型コロナ感染者が出たため、準決勝を棄権)

そして今回の東京大会が3度目のデフリンピック。

尾塚選手は代表活動が10年目に入り、
今回の大会で日本代表を引退すると決めて臨んでいました。


 

尾塚選手の応援団が作った手作り内輪

金メダルをかけた戦いは日本とトルコとの戦いに。

日本はまず第1セットを先取。

そして第2セットと第3セット。
日本が劣勢の場面で尾塚選手がリリーフサーバーとして登場。
第2セットは尾塚選手のサーブからチームは4連続ポイントで逆転し、そのまま第2セットを連取。
第3セットも嫌な流れを変えたのが尾塚選手でした。

試合は日本がストレートでトルコに勝利し、2大会ぶりの金メダルを獲得しました!!
私は家族が応援する様子をカメラで撮影しながら応援していたのですが、何度も胸が一杯になり、何度も涙で目の前がぼやけました。

勝った瞬間、大粒の涙が溢れた尾塚選手。
試合後のインタビューでは
「ケガも病気もたくさんしたけど、ここまで諦めずに続けてきて良かった。自分のことを褒めてあげたい」と話していました。
本当にすごくいい笑顔をしていました。

チームを率いた川北美雪監督(旧姓 狩野/北京オリンピック日本代表(2008年))にもお話を聞きました。
「第2セットの彼女のサーブから流れが変わって日本は優勝できた。彼女が引き寄せた金メダルだった」と、尾塚選手を称えていました。

個人的にはずっと取材をしていたものの、公式戦を取材できたのは始めてでした。
尾塚選手の大切な大会を現地で取材できたこと、本当にうれしかったです。
人生の中で、尾塚愛実という選手に出会えたことは私の財産です。
尾塚選手、本当にお疲れ様でした!!!