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かごニュー
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10月5日(水)鹿児島とバレエを愛して

鹿児島にバレエの技術と文化を築いた“白鳥見なみ”さん。「ヤマトタケル」や「平家物語」など日本にこだわった独自の作品作りに情熱をかけ、現在もバレエとともに過ごす日々。ひたすらバレエを追いかけてきた白鳥さんの人生を3分の1ほどを振り返りました。

 
バレエを始めたきっかけ
1939年、鹿児島市で呉服店などを営む実業家の家に生まれた見なみさん。彼女が踊りと出会ったのはお母さんがきっかけでした。最初はモダンダンス、そして10歳になるとバレエに。世はまさに戦時中、贅沢は敵だった時代に、あるフランス映画を観た見なみさんの母が、心だけは美しくあってほしいと願って始めたものでした。

 
芸術祭へ
自らバレエを踊り、伝え続けた見なみさんにある一つの目標が。それは、東京の“芸術祭”に参加すること。見なみさんの情熱は文化庁を動かしました。バレエ団全員で列車に乗って東京へ。惜しくも受賞は逃したものの、見なみさんにとって忘れられない舞台となりました。

 
ヨーロッパ留学
“芸術祭”という大きな舞台を終えた見なみさん。しかし、バレエへの情熱は冷めることはありませんでした。バレエの本場ヨーロッパへ留学し、さらに踊りを追及します。そして、結婚し、一人娘の五十鈴さんを授かりますが、バレエ漬けの日々は変わることはありませんでした。一心不乱にバレエに打ち込み、次々に作品を発表しました。ヤマトタケル、卑弥呼をテーマにした「邪馬台」、平家の盛衰を描いた「平家物語」など創作した作品は29。国内に海外と、合わせて1200公演にも上りました。見なみさんの作品は評論家の間では、世界的バレエの演出家モーリス・ベジャールの作品と同等のレベルとの評価を受けました。

 
次の世代にバトンを
2009年のステージを最後に舞台を降りた見なみさん。「次の世代にバトンを渡す」という思いが生まれていました。加治屋町のバレエ教室、見なみさんは娘の五十鈴さんと共に鹿児島の人々にまたバレエを教えています。バレエと出会って73年。母から託されたバトン、その思いは娘に受け継がれていきます。