6月10日(水)知覧特攻平和会館~25歳が伝える戦争
例年多くの観光客が訪れる南九州市の「知覧特攻平和会館」。およそ1カ月半の臨時休館を経て先週、再開しました。戦争の悲惨さと命の尊さをこれまで多くの人に伝えてきた人気施設ですが今、大きな転換を迫られています。今回、その一役を担うべく採用された25歳に密着。初めての仕事を追いました。
羽場恵理子さん、25歳。この春、埼玉県川越市から南九州市へ移り住んできました。これまで学んできた日本近代史の知識が評価され、知覧特攻平和会館の学芸員として採用されたのです。
この日は初の出勤日。早速、先輩学芸員に館内を案内してもらうことになりました。知覧特攻平和会館は主に陸軍の沖縄特攻作戦に関する歴史を伝えてきた施設。特攻隊員の遺品や遺書など1万6000点が展示・保管されています。
平和会館を初めて訪れたのは面接の時だったという羽場さん。これから勉強していこうという矢先、新型コロナ感染拡大の影響で臨時休館が決まりました。そんな時、展示のリニューアルを任されることになりました。
実は、知覧特攻平和開会館、大きな転換を迫られていました。平和会館の来館者数は現在、ピーク時の半分。戦争体験者が減り、戦争を知らない世代が更に若い世代へ語り継ぐ時代がやってこようとしています。
羽場さんには次世代に関心の輪を広げてもらう役目が期待されていました。いきなり任された大役。でも実際どうすればいいのか―。そんな中、先輩とともに戦跡を見て回っていた時、出撃前の特攻隊員が寝泊まりしていた三角兵舎を見つけます。戦争は、確かにここにあった。75年前が少し近くに感じました。
展示スペースでリニューアルに取りかかる羽場さん。特攻基地の前身だった知覧飛行学校について紹介するケースを作成していました。少しでも戦争を近くに感じてもらいたい。大きくした当時の写真には羽場さんが作った説明パネルが添えられました。
待ちに待った再開の日、来館者の数は決して多くありませんでしたが、訪れた人たちは長い時間をかけてじっかり展示物に見つめていました。
この日、羽場さんは平和会館を訪れたある女性と出会います。桑代ちのさん91歳、当時なでしこ隊の一員として特攻隊員たちを見送っていました。息子の照明さんは現在、平和会館で語り部として働いています。
沖縄戦で亡くなった陸軍の特攻隊員、1036名。75年前、この日本で確かに戦争がありました。当時の記憶や記録に寄り添う。25歳が語り継ぐ、戦争です。